DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2001.01.27

こんな記憶は30年ぶり、1日に2回、母の創る食事を食べた。

こんな記憶は30年ぶり、1日に2回、母の創る食事を食べた。鹿児島の”めし”は何かうまい。シラス台地が育んだ水のせいか、武士と農民の味の葛藤がその微妙な塩気を作り出したのか、はたまた胃が体中にひろがって、校庭から食卓に駆け込んだ少年時代の記憶が中年の舌を懐かしくさせているのか・・・。夕方食べた、薩摩の黒豚のしゃぶしゃぶは思わず父の分までたいらげてしまった。

鹿児島カントリーで、薄暮プレー。9ホール風の中で、父のセットを借り手て43。まあまあの出来。東京の羽田は何年ぶりの雪で、飛行機は全便欠航。こんなことは、過去の僕の記憶の中でも珍しい。関西空港に降りて、笹岡社長と一杯やるか、福岡に飛んで小園君とラーメンを食うか、名古屋の小牧空港から”味噌カツ”担いで新幹線で帰京するか、頭の中で友人と、名産物の大葛藤。要は、ラジオの気象情報を聞きながらまだ見ぬ東京の”雪嵐”を不思議な気持ちで想像していた。鹿児島は近くて、やはり遠い街遠い街なんだぁ・・・。