DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2015.03.13

父の百人一首

 私の祖母にあたる 東きわ は、長寿で102歳まで明け方にニワトリを追っていた。1876年生まれの彼女は、3人の男子と2人の女子を育て上げ、そのうち2人の男子は第二次世界大戦で、海軍士官学校卒の叩き上げとして、マニラへ向かう艦隊の先陣でアメリカ軍の空襲を受け、命を落とした。
 たった一人残った父は、東家が途絶えないように海外へ留学し、終戦後、帰国し、家を継いだ。きわは、明治時代の教師だったこともあり、とりわけ末弟の父には厳しい教育を施したらしく、中でも筆の修行に関しては、夜を徹して教えていたらしい。

 父が30年ほど前に、百人一首を描き上げた。何日かけたかは定かでないが、2年ほどかかったとのこと。
 芝パークホテルの青木さんのお力添えで、その作品を館内の和食店「花山椒」の壁に張り付けて貰った。足の悪い母が上京したときに、父の作品を喜んでくれるか、それとも「花山椒」の焼き魚に気がいくか分からない。