DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2012.03.24

第14号 美楽マレーシア版の下調べ

 マレーシア・クアラルンプールに4日ほど出かけた。ニホンジンは、緯度に強く、経度に弱い国民性であると、かってに判断しているが、まさに、今回のマレーシア旅行では、それを感じた。

 つまり、1945年辺りの帝国主義日本の幻想と其の頃の地図ねせいか、大東亜共栄圏の範囲のアジアは、何処か近く感じられるのだ。
  しかし、朝の11時に出発したジェット機が、クアラルンプール空港に降り立ったのは夜の7時。つまり延々8時間もかけて罫線を下ったのである。
 考えてみれば、モンゴルよりも、ハワイよりも、遠路。赤道近くまで来てしまった。バンコックと、ミャンマーと、マニラと、どんな位置関係にあるか意外と、難しい、

 飛行機の扉が開くと、その隙間から蒸れる様な熱気が吹き込み、沖縄や、インドや、エジプトを旅した時と同じような亜熱帯の艶かしい湿度の感覚が背中を刺した。

 「資源が豊かで、緑に恵まれ、物価がやすいので、ニホンジンが、たくさん住んでいます(実際は1万人程度)」
 現地のガイドが、タドタドシク、ハヤイ日本語で捲くし立てた。

 中国系3世や4世が、人口の7割を数え、インドは勿論中近東や、オーストラリアからの移民が多い。雑食の半島。

クアラルンから西へ車で1時間も走ればマラッカ海峡に出る。第二次世界大戦で、父の兄が戦死した海である。軍艦と共に、若い命を国に捧げたのは、終戦の、ほんの少し前であったらしい。


 西の空が赤銅色に染まりながら、日本の夕陽より、一回りも大きな太陽が燃えている。
 飲み込まれそうな、温い熱帯の闇がカーテンのように、揺れ始めた。