DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2010.03.21

第13号 鹿児島中央駅

 鹿児島中央駅は、昔西駅と呼ばれていた。この駅と、東京駅が九州新幹線の全線開通に伴い、7時間30分で繋がる。少年の頃、夏休みになると「はやぶさ号」に乗って20時間ほどかけて、夜通し本州、九州を走り抜け、東京から祖母の顔を見に、故郷に戻った。
 腕時計で、到着時間を何度も確認しながら、本を読み、駅弁を食べ、見え隠れする東シナ海を眺める。それを繰り返すのに飽きてしまうと隣の車両に、散歩に出かける。

 子供心にも、鹿児島までの、”その退屈さ”が憂鬱だったのを覚えている。

 西駅に着くと、桜島の上部が僅かに見え隠れし、当時もよく噴煙を、吐いては、その喉の奥から、ベージュ色の灰を町中に降らしていた。

「今年に入って、桜島の爆発が200回を越えている。変だね・・・」と父が言った。

 地球が変化し、日本列島が変化し、鹿児島も変化した。変化なのか、退化なのか、変化の軸さえ、複雑に変化している。