2008.05.21
第22号 月刊「美楽」6月号
『雨学』
車社会について予測した「クルマロジー」という本の中で、人間の肉体と文明の関係は、あたかも反比例するように、例えば高速道路の距離が伸びれば、歩行距離が縮まる、電卓が普及すれば、当然のように暗算ができなくなる・・・・と警鐘を促している。
マクルーハンもコンピューターの普及は、社会の合理性を高める一方で、頭脳の劣化に繋がると予測していた。
・・・・・とするならば、モバイルネットワークの普及は、私たち人間社会から何を奪い去ろうとしているのだろうか。文字なのであろうか。言語なのであろうか。それとも、個々の人間に対する興味や関心なのであろうか。
地球環境の変化の中で、今年の梅雨は早くて短いといわれる。天空から落ちてくる雨粒の大きさも、少しずつ大きくなっている気がする。本来、木に誘われ葉を青くし、大地の養分を豊かにする梅雨も舗装された地面を一気に海へと駆け抜ける。
我々は、雨から何を学ぼうとするのか?その好奇心すら捨ててしまったのだろうか。