DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2006.08.08

第33号「虎ノ門の交差点で5分間夕焼けを見ていた」

「今日も、また、夕焼けを見ていた・・・・・・」

 社名にもなっているので当然だが・・・・・こと夕焼けに関しては敏感である。ほとんど毎日のように日没の時間になると西の空を見る。ビルの中にいようが、高速道路で車を運転中であろうが、18番グリーンで1メートルのパーパットを残していようが、とにかく首が自然に西のほうに回り、神経質に夕焼けを探す。

「東さん、何で夕焼け創造研究所って名前なんですか?」と聞かれる。
「別に難しい理由はないんですが、夕焼けを見ていると、いいアイデアが浮かぶんですよ。」いつもこう答えている。

 一日が終わり夜が始まろうとするとき、今日という人生の残り時間もあと僅かとなる。少年時代であれば、母が作ってくれた夕食を食べ、いやいや宿題をこなす、残った僅かな時間に読書する間も無く、もうウトウトと寝る時間がやってくる。

 今日のように無駄な夜が、無かった頃である。

 だから実質的に日没は明日へのカウントダウンであり、1日の残り時間が少なくなった焦りと、“目を閉じるまで”までという納期が迫っている為、程よい集中力で脳の回路が右に右にと回り出す。

夕焼けが空を赤く染めて、やがてたくさんの星が絢爛と輝き始め、薄い満月がゆっくりと光沢を出し始める瞬間に浮かぶアイデアは、大胆で、ちょっと夢見心地で、時には市場のスケールすら感じさせない可能性に満ちたものが多いのである。