DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2006.06.08

第26号「富良野の良心、日本の良心!」

 ここ数年、仕事に対する自分の価値観が変わり始めている。これまでは仕事、仕事して、どうしても利益を前提に事を進めていたが、ここ数年は新しい事業や商品の開発していく際に、横から見たり、斜めから見たり、下から見たり、とにかく仕事をする際の意味に対して余裕を持って望みたいと思うようになった。

特に、気持ちのいい仲間と喧々諤々やりながら、創りあげる過程が楽しい。
それでも、短期間に人を強引に集めなければならないような大仕掛けで荒っぽい仕事を頼まれると、変化しつつある最近の仕事の価値観と実際の発生する煩雑な実務との間に折り合いがつかなくなって、ふと、東京を離れる。

今年に入ってからの行き先は、北海道が多い。

 倉本聰先生が東京を後にして、ちょうど20年が経とうとしている。今回は富良野塾開塾20周年と言う事で「地球、光りなさい!」というロングラン公演を観劇してきた。

その頃の富良野は「北の国から」も始まっていなかったし、多分札幌から汽車で3時間という交通の便の悪さもあって、今ほど観光客も集まっていなかったのであろう。北の原生林に覆われた盆地を日本でも有数の文化スポットに成長させたのは、倉本先生ならではの、コンテンツメーカーの上品で知的な最終形であろう。

 雨の匂いが夜に染み出したニングルテラスという森の中で、手作りのチーズケーキと特製“焼きミルク“を飲みながら窓の向こうに並んでいるログハウスの店舗を眺めている。

手作りの彫刻品や記念写真の店が並び、その軒先には巨大な蛍の光のように電球がぶら下がる。人工的だが幻想的な森の祭りに右脳だけが酸化していく様だ。

  戦後60年たって、私たち日本人は自然に対する無関心を装ってきた。
その悲しいまでの結末を一番嘆いているのは倉本先生を代表とする戦前生まれの先輩たちではなかろうか。彼らの時代にはまだまだ子供達が素材として自然の中で呼吸していた。

政治の仕組みや、経済の構造の短絡的な歪みや、都市化と言う名のもとに堕落街やコミュニティを取り返すためには、今後どれほどの富が必要なのであろうか。

「あなたは、文明に麻痺していませんか?車と足はどっちが大事ですか?石油と水はどっちが大事ですか?知識と知恵はどっちが大事ですか?理屈と行動はどっちが大事ですか?批評と創造はどっちが大事ですか?あなたは、感動を忘れていませんか?あなたは、結局なんのかのと言いながら・・・わが世の春を謳歌していませんか?」