DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2006.04.25

第20号「長嶋一茂氏との嵐のロケーション・ハンティング」

 何をやるにもすべては“現場”から始まる。よくある話だが、殺人事件などの犯人の痕跡も必ず“現場”に残っていると言うし、どんな名曲も幼少の頃に耳にした記憶に残った音階がのちに美しい楽曲の原点になると聞いたことがあるし、極端な話、この広い宇宙に地球のように水分のある惑星かどうかも小さな隕石のかけらを分析した結果発覚することもある。

 来年の公開を目指して企画中のある映画のロケハン(ロケーションハンティングとは、撮影現場の視察のことをいう)に、千葉の郵便局を訪ねた。この映画を、長嶋一茂氏とブレスト(企画を出し合いながら、脳みそに嵐を吹かせること)しているうちに、ブレストの前にロケハンをしたほうが無駄な想像力を使わなくて良いという話になったからだ。

 この映画のストーリーの舞台にもなる郵便局や、漁村や、富士山の見える海岸や、地元の小さな食堂を回っていると、天気予報の予想通り突然、嵐のような大粒の雨に襲われた。
墓参りのシーンの場面は太平洋を見下ろす岬の灯台である。小さな灯台の屋根の先端に設けられた避雷針に、空を覆った黒い雷雲の中に含まれたすべての電気が雷となって一点に集中して落雷している。こんなシーンは、とても机の上のブレストではイメージできないほどの閃光であった。


 週に何回もの役員会で、現場にでるエネルギーさえ失ってしまった会社の経営陣も、本当に会社を愛するのであればロケハンをお薦めする。

 現場に出て、お客様の顔を見る、商品の展示状態を見る、ベット上で朦朧としている患者を診る、リングサイドでファンの声援を聞く。この日本は限りなく無限大の現場が存在し、そこには永遠の創造力が溢れているはずだ。