DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2003.08.13

8月13日(水)久しぶりに原宿・表参道の交差点に近い中谷 彰宏さん(今や先生と言った方が善いかなぁ)の事務所を尋ねた(写真参照)。


 この事務所は以前から何かの縁があって、母の友人だった向田邦子さんのお宅や、格闘技プロデューサーでも有名な百瀬さんの事務所があるマンションだ。


 あの夜、僕は頭の中の想像力をフルに使い果たしたのを憶えている。打ち合ったボクシングの試合の後の爽快感を記憶している。

「近く、独立しようと思ってるんですよ。東さんどう思います?」
「賛成だなぁ。中谷さんなら十分食っていけますよ。正直言って、遅いくらいじゃぁないですか」

 前から、彼の圧倒的な才能には驚かされる一方で、当時お願いしていた雑誌フロムAのテレビCMのコピーは出色の作品だった。しかも、僕が苦手にしている、代理店のクリエーターによくある、何処か偏屈なイメージもなければ、専門馬鹿に見られる妙なこだわりもない、そして何より引かれていたのは彼のプレゼンテーションのときの色気(・・・そういう意味ではなく男の仕事師が放つオーラ)と一等星のような明るさなのだ。
(随分花のある人だな、色気と、知性と、肉体のバランスが凄くいい・・・・・・)


 そんな魅力に惹かれていた彼からの、質問の答えには、迷いもなく一つの”答え”しかない。オフコースである。


 赤坂の支社のビル地下の溜まり場になっていたバーで、その夜は映画の話や、男と女の話、広告の話、メディアの話、中谷くんの話の一つ一つが、星の一片の先端のように光、僕は彼の感性のシャワーを浴びていた。心地のよい時間だった。

「東さん、今日は何ですか?相変わらず変わりませんね」
「中谷先生もね」

 あれから、10余年。目の前の中谷さんは、メディアを使う魔術師から、日本を代表する“メディアそのもの”に変貌した。ライバルというには、あまりにも先に僕を、走りすぎてしまった彼は、今でも僕の自慢の友人の一人でもある。