DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2003.04.28

4月28日(月)いつの頃からか出会う女性をいくつかのパターンに分けて、“勝手なイメージ”の引き出し”分類している。

 もちろん年齢や、国籍や、職業など関係ない。純粋にその女性から受ける印象や感覚的なイメージをインデックスをつけて、書籍やCDのように分類している。


 母のような安堵感に包まれる女性、姉のような気丈な人、未熟な妹のように気が気でない存在、幼年時代からの無邪気な遊び友達、気の抜けない男性のようなライバル、そして心が赤く染まりそうなほどのロマンチックな恋人、企業の経理部長のようなそろばん一本の人、交差点ですれ違っただけのただの人・・・・・女性にとっては迷惑なことに違いないが、出会う女性を勝手に自分の中でジャンル分けしているような気がする。


 夜毎、飲み屋に出かけ、人よりは多少いい酒を飲んでいると、変わり者で風采の上がらない僕でも年1回くらいは声をかけられないこともないのだが、どうも最近ロマンチックな雰囲気で女性を感じることが少なくなった。


 特に最近目立つのが、その人のイメージを感じられない、個性のない女性たちの登場だ。顔のない女性たちは話しているようで、何も話さない。饒舌なのだが意味がない。そう・・・・・大量生産された上に、着色された造花のようだ。


 その一つの要因に、話し言葉の退廃がある。すべての会話の語尾があがり、“チョー(超)”オーバーな形容詞を多用し、省略された動詞、略語化された名詞を無関心に使う。日本語の“やさしさ”を忘れたこうした話法にも原因がある。


 シナリオもなく、無理して自分を演出するより、黙って微笑んでいてくれた方が、余程神秘的でましなのにと思う昨今である。