DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2002.12.16

12月16日(月)新宿御苑近くのレコーディング・スタジオで「質問」の最終録音。「記憶」のメロディーラインの確認作業。センチメンタル・シティ・ロマンスの細井豊氏を招いてピアノ、ハーモニカを重ねている。

 細井氏は30年前から僕の脳裏を離れないピアニスト(音楽家)で、その名前の通り「豊か」で柔和な表情がなんともいえない人間味を感じさせてくれる。
 彼の指先から繰り広げられる“鍵盤の世界地図”は、ウエスト・コーストから、ミシシッピーあたりまでカバーしたかと思うと、彼の脳裏を走る“五線譜の世界旅行”は中央アフリカのコンゴあたりから、モロッコの裏町まで拡がっていく。


 あれは、まだ成人式を迎えていなかった夏の終わりの頃と記憶している。名古屋の勤労会館で安藤君(今回のプロデューサー)と、杉浦君と、当時名の知れた何人かのバンドのリーダーが集まって“たった1日だけのバンド”でライブ・コンサートを行った。僕たちの出番の1つ後ろが、細井氏がピアノを弾いて居たセンチメンタル・シティ・ロマンスというしゃれた名前のロック・グループだった。
 演奏を終えた僕の耳を捉えて離さなかったのは、フェンダー社製の“高音のソリッド”な2本のギターのハーモニーと、若かりし細井氏の薄く跳ねるようなリズムのキーボードの音だった。本音を言えば、この30年間、一緒に組んでみたいアーティストの一人であり、またミーハー的に憧れの音楽家でもある。


 今、ピアノ専用の録音室の中で、細井君が「記憶」のメロディー・ラインを軽やかに、ムーディに奏でている。僕の作った、あいまいな曲線がどんどん息を吹き返していく。(青春時代から一度も音楽から離れずに、音楽を愛し続けた人の職人芸だ・・・・・・・)。僕は、ほんの数分間目を閉じて、聞き惚れていた。まぶたの裏に、大好きだったセンチメンタル・シティ・ロマンスのステージがくっきりと浮かび上がり、胸の中には1972年の名古屋の風が流れていた。安藤君も、僕の目を見てにっこり肯いた。


 街中のあちこちで“赤”がよく目に付く。クリスマスのサンタの帽子と洋服の赤、ポインセチアの赤、ケーキの赤いリボン、冷気でよく澄んだ夜空の飛行機用の安全灯の赤の点滅も無数にある、それに心なしか雑誌の表紙も赤をふんだんに使っている。
 クリスマス・イブの夜には、「記憶」、も「質問」もすっかり仕上がっているだろう。二つの新曲は、今始まったばかりの“新しい恋人たち”(質問)と、こよなく人生を愛してきた“なつかしい恋人たち”(記憶)にきっと、気に入ってもらえると思う。


僕は懐かしいピアノの音を聴きながら、打ち寄せては帰す現実離れした“恋の空想”を描き、そして吸ってはいけないタバコの煙を燻らしている。
 このアルバムの制作を終える頃に、名古屋に行こうと思う。少年時代に気がつかなかった僕のこころの一部が、残っているに違いない。



細川豊氏(ピアニスト)


細川豊氏と私