DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2002.12.09

12月9日(月)夜明け前、まだ薄暗い。午前3時すぎから降り出した雪に増上寺の屋根が、袋文字のように輪郭を縁取られている。

 低い空から舞い落ちる霙雪(みぞれゆき)で東京タワーの周辺の大気が蜜柑色にハレーションをおこしている。寒いといえば寒いが、僕は半そでのポロシャツを2枚重ねて着ているだけで、むき出しの腕が初雪をじかに感じながら心地が良い。(いつまで、降り続けるのかなぁ?)東京に雪が降ると必ずいつもそう思う。雨が無制限に広大な天空からに落ちてくるのに比べ、何故か雪は一定の限られた量を少しずつ神様が気ままに調整しながら落としているように感じられるのが不思議だ。


 こうして朝の散歩をしていると、体全体が皮膚で呼吸している感覚を捉える瞬間がある。その時は決まって、深く息を吐き出し、空を仰ぐことにしている。


芝公園の黄色く枯れた芝生は雪の下にもぐり、足の指先が冷たい。


 太陽が宇宙の向こうから、燦燦と無限の光を注いでいるのと比べ、月は限られた灯火のバッテリーをわずかずつ地上に配分している。この月の儚さ(はかなさ)が、人工的な街の明かりと比べるとたまらないロマンでもある。


 散歩の途中、水色の朝の雲に浮かんだ行く宛ての無い白い月を見かけることがある。まるで、最後の言葉を捜しているうちに、引くに引けなくなった恋の終りの様に。この月の場合は意地をはってはいるものの、存在感が微かなのだ。


 今朝は、太陽も月も雲も風もない。ただ“白い氷”が薄くゆっくりと瞼に落ちては、溶けて行くだけの朝である。