DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2002.11.22

11月22日(金)時間の束縛がかえって集中力を呼び、夕闇がばたばた夜になるのと競争しながら、ホテルの部屋で45分間の間に今夜のプレゼン用の企画書を書いた。

 それはDNAに関連したものだ。今、僕は遺伝子に興味を持っている。


 地球人口60億の誰もが、まったく同じものを持たない(双子以外は)この“人間の素に”魅せられている。ホームページの性格上、どなたがお読みになるかも判らない、妙に誤解を受けたり、世間を騒がしたりするのも無責任なので、この企画は改めて2003年の4月辺りに、皆さんにも詳細をお知らせしたいと思っている。


 一般的に集中力は、限られた時間の中で何かに取り付かれたように発揮されがちのように思われているが、実はそれは間違いだ。或る程度の自由な枠の中で、自らがコントロールして時間や、精神力や、創造性を束ねた方がいいものが生まれる。物理的に余裕がないと、その時は自画自賛して“輝いて見えたものも”あとでゆっくり確認してみるとただ“時間がない割りに、よくやった”という程度の出来栄えの物が殆んどである。


 モーツァルトは森の中を散歩しながらたくさんの傑作を書いた。三冠王の落合選手はベンチで打順を待っている間タバコを吸って、投手の投げる球種をイメージしていた、そうそうあのボンズ選手もガムをクチャクチャ噛んでいる。


 ものすごくゆとりがある時に、実は全体のイメージが出来上がるのではないか。モーツァルトがピアノの鍵盤の前に座って「さあ、曲でも書こうか・・・・」と思ったときには、すでに曲の全体の構成も、場合によっては細かなフレーズも、実はほぼスコアーが完成していたのではないだろうか。落合選手の場合も一球目のストレートは見逃し、2球目のカーブはわざと空振りし、3球めのカーブを右中間に打ち返す・・・・なんてところまでピッチャーの心理を読んでいたに違いない。


 リクルートを退社してから、約2年。ようやく今のフリーのプロデュース業にも馴染んできた。その間、殆んど人のお世話になりっぱなしだった。いつも何かに追われ、いつも何かを探し、いつも誰かに救われ、いつも誰かを探していた。「気楽な人生にみえるよ」と言ってくれる友人もいる。「好き勝手やってるね」という先輩もいる。


 仕事は、想像力の結晶である。元にいい商品かどうか、それから市場(お客様)の動きと、お金の流れ、組織のフォーメーション。


 もしこの2年が、人生において余裕ある期間の一部だったとしたら来年の仕事は、すでに頭の中で完成していなければならない。