DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2002.11.14

11月14日(木)過去のコンサートの記憶の中で、一番輝いている夢が今目の前にいる。ポール・マッカートニーが「ハロー・グッバイ」をいきなり唄い始めた

 この曲をオープニングに選んだのは、この会場にいるファンのすべての記憶の扉を開けて35年前(1965年)から現在に引っ張り込むための“やさしい合鍵”なのでは・・・・・?


 今回の日本公演で、最後になるに違いない・・・・ということで会場は、主に50歳代の紳士、淑女で賑わっている。30年ぶりに再会した名古屋の安藤君も東名高速を飛ばしてやってきた。スクウェアーの宮本会長、ステファニー化粧品の一家社長にはたくさんのチケットを購入してもらった。キャッツの大友社長、ぴあの川口常務、YOKOのママ、戸張 捷さんの奥さん・娘さん、アップ・トゥーの松田さんは息子ずれ。B6ブロックは仲間たちでいっぱいだ。


 大きなイベントがあると、こうして懐かしい顔や、普段お目にかかれない友人と出会える。


 1994年の秋に福岡ドームでポールをプロデュースしたときのことを思い出している。スタッフ用に設置された食堂は菜食主義のポールの為に、ステーキも、ハンバークも、特殊加工の野菜や、大豆を原料にしていた。事前の打ち合わせでは「捕鯨反対運動」や動物好きのポールは“身に着けるものであっても革製品はNO”、システム手帳も革張りの物は持ち歩かないように・・・・こんなことまで徹底していた。


 ステージ上で、初老の紳士が「マイ・ウェイ」を歌っているのではなく、未だ若さすら発散してポールがおどけながら、はしゃぎながら、エレキを弾いている。音楽家というより会場に集まった全員の人生に何かしら影響を与えた人。その偉大さに、僕は胸を打たれていた。


 いつものように、退場時の混雑を避けるために早めにドームを後にした。まだ会場を出る人は一人もいない。ドームの入り口の本屋さんの店頭は、ポール・マッカートニーを特集した雑誌が棚いっぱいに陳列されている。ドームから溢れ出したポールと観衆の「イエスタデイ」が空いっぱいにこだましている。声というより、“思い出という時間の塊が”無数の風船になって、葡萄の房のようにキラキラと宙に浮いているようだ。


 「1966年産のワインでもあけよう」・・・・・・・・・・・