DIARY:夕焼け少年漂流記

 

2000.06.12

梅雨に入りそう。沖縄のリンケン君は今ごろ雨の中。マレーシアから田原氏が帰国。ある意味では平穏な日々。

梅雨に入りそう。沖縄のリンケン君は今ごろ雨の中。マレーシアから田原氏が帰国。ある意味では平穏な日々。

国家とは、誰かが便宜上創作したもので、もともと日本人はナショナリズなど持ち合わせてはいなかった。「情熱のゆくえ」堀田 善衛氏の著作にあるとおりこのGという会社も本来、個人のI・P・Oを前提とした欲望の固まりで、帰属意識などを期待したり、管理教育したりなど、おこがましいのかもしれない。

もともと日本人は日本人でもなんでもなく、むしろ個人の中にある故郷や、お国自慢、を柱とした"莫"とした農業人。よって強力な独裁者でも出現しない限りデモクラシーも存在しなければ、革命も起こらない。同様に、会社組織というものも、あのリクルートですら、賃金と"居心地の良い環境"、若者の刺激策をEさんが構築した広告収集システムで上手に能力発揮させているだけで愛社精神のようなものは、あまり感じなかったように思うのだ。人間の心の中に「故郷」に近い"らしさ"を持つことが一番なのかもしれない。

夜、Eさんの65歳の誕生日。レコーディングの最中のさだまさし氏を氷川に連行。まずい事に「天までとどけ」を作曲者の前で歌う事になってしまった。

さらにまずい事に、疲れたさださんに「フレディ、もしくわ・・・」「コスモス」まで歌ってもらった。いやいや冷や汗の夜。その後、センチュリーのシラノで西澤さんと、荒川さんと一緒。