DIARY:夕焼け少年漂流記

 

1999.12.31

大晦日、例年この辺りはスケジュールの調整が大変。



大晦日、例年この辺りはスケジュールの調整が大変。

◎安比へ

今年は大きな変化の年だった。判断の分かれ目がいくつかあった。その一つ一つが、人生の後半に幾らかは影響するだろう・・そんな気がするのも呑気な話だが25年ぶりぐらいかな?後になってみると"運命の分かれ道"の付け根であったには在ったのだろうが、岡田さんが常ずね言うように「おっとりしすぎよね」。若い頃はポイントもわからずに無意識のうちに過ぎていった。基本的には浮世離れも甚だしい、これは自らの性格の変革をして今年(1999年)限りにするよ・・宣誓。取り返しのつかないことは無いが、時間が無駄だから。
 ということで、今年のポイントは、



@ やはりリクルートを退社したこと。但し、92年の春のダイエー・プロジェクト以来精神的には徐々に離陸してきたので、転職ショックは無い。坂本健さんに感謝をしている。



A 神蔵君とガマG立。長年の親友と事業を始めるのは、もしものことを考えると友情と業績の天秤になりそうで躊躇したのだが、我が身の上昇とIT革命を視野に入れるとGOなのだろう。



B 母の病気と父の献身。正確には昨年から続いていたのだが、正直今年は覚悟をさせられた。一方あの小さな部屋で寝泊りを繰り返す父には、共に老いた夫婦の"やりきれない助け合い"と、やはり何処かで家の事はそっちのけで出歩いていた父が懐かしかった。



C 音楽から文学へ、僕のサブカルチャーが変わってきている。自分自身の年齢の変化もあるだろうが、文学界に身を置く人の安心感、厚味に、深さに体が流れていく。といってもそれほど音楽漬けになってた訳でもないのだが。ガマG学の接点も在るしな。



D 宣弘社の小林副社長、協栄ジムの金平会長、ネクサスの景山さんみんな積極的なネットワーカーだった。合掌・・・・・・・・